仮固定の性別のこと

黒石 紗弥子

みなさまこんにちは。寒うございますね。黒石です。

前回の自己紹介記事にて、ぼくはXジェンダーですと書きました。そのあたりについて掘り下げていこうと思います。

長い記事なので、先に結論を書いておきます。「人を性別で判断するな、女やから・男やから◯◯しろとか結婚しろとか股間だけ見てもの言うな」以上です。

人から聞いたこと経験したこと、自分の主観で書きます。誰もがこう感じているということではありません。あくまで一例としてお考えください。

性別を「分ける」ことの一時性

性別には何種類あると思いますか?

無限です。分けることにそもそも無理があります。それはなぜか。

最もシンプルな数え方をご紹介します。身体の性別×性自認×恋愛対象。すなわち、2*2*2=8種類、というのが最低限の数え方です。けれどこれはあくまで最低限であり、何ら網羅していません。

身体の性別。これは機械的に判断できます。染色体。基本的に二種類です。

性自認と恋愛対象も男女の二種類しかないとお考えの方がいらしたら、ぜひここを注意深く読んでください。

あなたは、自分の性自認が一生変わらない、あるいは、変わったとしても男女のどちらかにはっきりと分類されると思いますか?恋愛対象についても、あなたはどうして「異性が好き」「同性が好き」と言い切れるのでしょうか。本当に?自信を持って、ようく考えても、なおそう言い切れる人がいらしたら、ぼくは素直にすごいと思います。

身体の性別は、確かに日々を過ごしている中である日突然変わるということは滅多に起こり得ないかもしれません。けれど性自認とは、心のありようですから、日々揺れ動くものです。

ぼくたちは、デジタル時計には表しきれない時間が存在することを知っています。アナログ時計は休まずに、すべて時間を一連のものとして表現します。デジタル時計は、数字で表す以上、どれだけ単位を細かくしたとしても、数字と数字の間が必ず存在します。数直線に例えるなら、デジタル時計は目盛りの点しか表現できないのに対して、アナログ時計は線を表現することができるわけです。

この数直線について、性別についても同じことがいえると、ぼくは考えています。

ぼくらの性自認は、アナログ時計のように、いついかなるときも揺れ動いています。ただ、進み方が一定ではないだけです。急に大きく振り切れてしまったり、ごくごくわずかにだけ動いたり。自称する性別とは、たまたまそのとき、どの目盛りに近いか、ということでしかありません。

そう考えた時、身体の性別でない性別、性自認が、地続きの・一連の不可分なものとして了解されるのではないかと思います。

また、恋愛対象についても、身体の性別ではなく性自認を軸として考えるので、先程の性別の種類の図は、こうなるはずです。

さて、これを数える・計算することができるでしょうか。

恋愛賛美の風潮について

ここまで、性別を数える時には恋愛対象についても考慮する、すなわち恋愛をするという前提で書いてきました。

ですが、この前提にも問題があります。そもそも「恋愛をしない」ひとは、どうなってしまうのでしょうか。

自らの意思で恋愛しないのではなくて、恋愛感情、あるいは性的欲求を他者に抱かないひと。アセクシャル、ノンセクシャルで検索してください。

反対に、「複数の人に対して本気で(浮気じゃない)恋愛をする」ひとも居ます。ポリガミーで検索してください。

このたった数行だけでも、驚く人は多いのではないでしょうか。どうでしょう、ますます性別を語ることの困難さが分かってきたのではないでしょうか。

「恋愛は素晴らしいもの」「生涯ひとりの伴侶と添い遂げるもの」否定しません、そんな価値観があって良いはずです。けれど、それを当然のことに思わないでください。そんなことありません。常識なんて、一時的なものに過ぎません。恋愛をしているから他者より優れているとか、そんなことはまったくありません。

何気ない日常の会話で、「彼氏/彼女おんの?」「好きなタイプは?」ありますよね。場合によってはけっこうな圧力です。「恋愛感情を男女どちらかに抱くこと、対象が一人であること、なおかつその像が確立されていること」を要求されています。発話者にそんなつもりがなくても。

ぼくは面倒なので「おらん、知らん」で通します。その聞き方をしてくるんやな、と思うのみです。たとえ性自認がはっきりしていて、恋愛対象がとりあえず異性というひとでも、言外に滲む「恋愛至上主義」にうんざりしているひとは多いと思います。コイバナがみんな楽しめるはずの良い話題、というのは、その場にいる人達の持つ価値観次第です。

コイバナをするな、というわけではありません。「パートナーおんの?」であれば、少しは楽かもしれません。「あ、わかってくれるかも」とぼくなら思います。トゲを生やさずに、素直な気持ちで答えられる気がします。

どちらでもある・どちらでもない

ぼくについての話をします。

ぼくの性自認はXジェンダーと呼ばれるもの、ということにしています。Xジェンダーとは、「男女どちらでもある、あるいはどちらでもない」ような性自認を指しています。第三の性別とかいわれていた気がします。

ぼくが男女で分けて数えるような、例えば冒頭の8種類などの、そういった考えを嫌うのはそのためです。レズとか、ゲイとか、バイとか、それってつまり、性自認がはっきりしてるひとのための言葉じゃないか。ずっとそう感じています。

そのカテゴリに含まれるひとも確かに存在しますし、ぼくはそういったひとが大好きです。でもじゃあ、そうやって括ったときに、外れたぼくらは?いったい何?

ぼくは、身体の性別が女性です。ですが、スカート等一切履かず、化粧もしません。だからといって、トランス(性自認が男性)というわけではありません。◯◯子という名前ではありますが、両親が付けてくれた大切な名前です。生まれ持った健康な身体を、そこそこ気に入っています。身長が高ければな、とか、男性の骨格になりたいな、と思うことはしょっちゅうですが、費用やリスクを乗り越えてまで、とは思いません。

女性用下着販売店に入るのがものすごく苦手、というか無理です。むせ返るような臭いがします。実際にはそんな臭いはしていないのですが、そう感じます。自分がこれを手に取った時、自分はどんな文脈に押さえつけられてしまうのか、というとてつもない恐怖があります。実際にはどうとも思われていなくても、「お前もこれを身につけなきゃいけないんだよ」という強迫観念がえげつないです。

でもトイレは普通に女性用に入れます。身体の機能別に分けられている、と考えればさほど苦でもありませんし、慣れてしまいました。ただお化粧直しをする女性のそばに居られないので、ろくに鏡も見ないで出ます。

恋愛感情自体が希薄です。男女どちらが好きかなんてことは分かりません。

こんなやつで、辛いこともまあありましたが、大好きな友達はいっぱい居ます。たくさん笑っています。「人となり」で判断してくれるひとが周りに居てくれます。そういうひとばっかりになれば良いと思っています。

『放浪息子』

と、いうマンガがあります。アニメ化もしています。メディア芸術祭マンガ部門に入賞したこともあります。これをぜひ、読んでください。

『放浪息子』アニメ公式サイト

長々と書いてきましたし、こんなこともあるよと分かっていただきたいのはもちろん本音としてあります。その一方で、特別視してほしくない思いもあるんです。

ぼくらにとって一大事と思う事件でも、日常です。多くの人が送っているのと同じ、日常です。特別扱いをしてくれと言っているわけじゃないんです。その点において、『放浪息子』は素晴らしいです。

「性的少数者にとっての重大な出来事であっても、時が流れれば風化する、日常の範囲内に収まっていくものである」ということを、これだけよく描いたものは無いのではないでしょうか。無色透明の描写ゆえのとてつもないリアリティ。

教科書にしたって良いくらいだとぼくは思っています。性的少数者「だから」こう対応してあげないといけない、とか思われるのは、なんか違います。ありがたいのですが、それは差別にすら結びつき得るものなんです。『ボランティア拒否宣言』なんかと近いものがあります。

『ボランティア拒否宣言』が紹介されているページ

長い時間かけて形成されたイメージにそぐうような、女の子らしい女の子も、男の子らしい男の子も、依然として存在し続けます。そんな日常に、ぼくらも居ます。そんだけのことです。ほんまに。

・・・

はちゃめちゃに長い記事になってしまいました。読んでくださった方は、ほんとうにありがとうございます。

性別なんてものは、仮固定でしかなく、揺れ動くことに罪も無いので、股間、すなわち身体の性別にかこつけてものを言うなんてやめて、「人となり」を真摯に見てくれ。そんなことが伝わったら良いなあと思っています。

たとえ奇異の目にさらされたとしても、ぼくは胸を張って仮固定の性別でいます。わざわざこんなこと書かなくてもみんなわかってる、いずれそうなります。現にそんなひとはたっくさん居ます。十人十色と同じことで、あなたにはあなたの性別があり、ひとにはひとの性別がある、それだけの話なんですからね。

 


黒石 紗弥子

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